黒衣之助、
史跡を巡る!
みんな~天!
(川!)
黒衣之助だよ!
今回の黒衣之助の部屋は、いきなり部屋を飛び出すよ~。
題して「黒衣之助、史跡を巡る!」
『仮名手本忠臣蔵』の題材となる「赤穂浪士事件」は、
江戸時代に実際に起きた事件なんだ。
史実では四十七人の赤穂浪士たちが、主君・浅野内匠頭の無念を晴らすため、
吉良上野介の屋敷に討入りをしたんだよ。
それを『忠臣蔵』では「赤穂浪士」を「塩冶浪士」、「浅野内匠頭」を「塩冶判官」、「吉良上野介」を「高師直」、「大石内蔵助」を「大星由良之助」に置き換えているんだ。
ということで、史実「赤穂浪士事件」にまつわる史跡を巡ってきたよ!
まずやってきたのが…
ここ!赤穂浪士たちが討ち入った吉良邸跡。
現在の墨田区両国にあるんだ。
当時は、現在公園として残されている土地の86倍、なんと2550坪もあったんだって!
そんなに広かったって知ると、『忠臣蔵』の討入りの場面にも奥行きを感じるなあ…
さて、無事に吉良を討った赤穂浪士は、最初に向かった回向院に入ることができず、内匠頭の菩提寺である泉岳寺を目指して引揚げることになったんだ。
次に僕が向かったのは、
赤穂浪士が泉岳寺を目指す際に渡ったとされる万年橋。
時を超えた現代の万年橋を、僕も自分の足で渡ってみたよ。
橋の上は風が強いな。討入りは12月だったからもっと寒かったんだろうな…(撮影時10月)
次に向かったのが、赤穂浪士の主君・浅野内匠頭の屋敷跡。
現在の中央区明石町にあるよ。
江戸城内で吉良へ刃傷に及んだ内匠頭は、即日切腹を命じられたんだ。
そして、いよいよここに来たよ!
赤穂浪士が討入り後に辿りついた場所、
品川にある泉岳寺。
ここには、浅野内匠頭だけでなく、赤穂浪士四十七人のお墓があるんだ。
そして、12月14日は、実際に赤穂浪士が討入りした日なんだ。
その日、泉岳寺では赤穂義士祭りが行われます!四十七士の行列も泉岳寺を訪れるんだ。
じつは、今年は僕も行ってきたよ!!!!
僭越ながら僕、大人気だったよ~~~(笑)
12月といえば「忠臣蔵」。
みなさんも、ご観劇にあわせて、史跡を巡ってみてはどうですか?
きっと物語の世界が広がって、より舞台を楽しめると思うよ!