親の忠義に差し出される命
人形浄瑠璃や歌舞伎の作品には、親が主君に忠義を尽くすために、子の命を犠牲にすることがあります。『一谷嫰軍記』では、源氏の武将熊谷直実は、後白河院の落胤である平敦盛の命を守るため我が子の首を打ちます。
現代に生きる我々には、何とも子どもの命が軽いと感じます。子を身替わりにするための大人の事情がクローズアップされるばかりで、江戸時代の感性にはとてもついていけないという感想を耳にすることもあります。
しかし、目を子どもに転じてみると、少し江戸時代の人々の思いに近づけるかもしれません。
江戸時代は、儒教が学問としてではなく実践として浸透した時代でした。親に孝養を尽くすことは特に重んぜられました。逆に親殺しは、江戸時代の数ある死刑の中でも極めて重く処断されました。江戸時代の刑罰は、人権思想によるものではなく、儒教倫理に照らして行われたからです。このように親殺しを重い罪とするのは、日本では1990年代に法改正されるまで残っていました。
「親孝行」は現代では、親に感謝し大切にすると何気なく感じていることですが、江戸時代においては子が行うべき何よりも重要なことなのでした。かけがえのない
命を親のためにささげるということは、誰もが簡単にはできない究極の「孝行」だと当時の観客は感じていたのではないでしょうか。子どもの命はやはり決して軽くはなかったのです。
ところでこの「親孝行」、儒教思想の歴史のない国では理解しにくいもののようです。2016年6月、イギリスのBBCのドキュメンタリーで、中国方式の教育が取り入れられたイギリスの中学校の特集がありました。教員が指導する「親孝行」に生徒は激しく反発し、議論をします。性差別、人種差別など間違いを犯してきた親世代を、すべて正しいと思うことなどできないと。東アジア文化圏で共有されてきた「親孝行」に基づく行動も、文化が異なれば「クレイジー」になりかねません。現代の日本においては、「孝」は江戸時代とは意味も行動も変わりつつありますが、まだ受け入れる素地が残っているのだと思います。
直実は、我が子の思いを受け止めてどのような心境だったでしょう。子どもが「孝」を尽くすに値する親子関係、行動原理があれば、現代においても説得力のある舞台になるでしょう。
(東 晴美 / 群馬県立女子大学講師)